伊賀風山流の歴史

伊賀風山流の歴史

脇坂併呑子(正興)|伊賀風山流 兵法教室

脇坂併呑子(正興) 学問・武術・諸芸に通じ、芸苑と称された伊賀風山流の大成者 脇坂併呑子は、初字を番蔵、名を正興といい、その居を拱星堂と呼びました。貞享元(一六八四)年、伊予松山に藤本正武の次子として生まれ、甲州流や三極流などの兵法を学びま...
伊賀風山流の歴史

兵藤風偃子(信興)|伊賀風山流 兵法教室

兵藤風偃子(信興) 風山子第一の高弟であり、各地に教えを伝えた伊賀風山流の伝道者 兵藤風偃子は、初名を元真、名を信興といい、字を外記、権八郎と称しました。のち如林とも号し、その居を吟嘯堂と呼びました。もと保坂姓で父の元辰は伊予松山藩士でした...
伊賀風山流の歴史

伊賀風山子(武寛)|伊賀風山流 兵法教室

伊賀風山子(武寛) 和漢の兵法を極め、兵法四天王と称された伊賀風山流の創始者 伊賀風山子は、名を武寛、字を平蔵または主水といい、のち次大夫(治大輔)と称しました。龍天または林火野とも号し、その居を與雲堂と呼びました。正保元(一六四四)年、伊...