軍師位・兵名・兵法授与之指南の証
伊賀風山流では、伝位・免状とは別に、軍師位、兵名、兵法授与之指南の証の制度を定めています。ここでは、それぞれの制度について解説しています。
軍師位
当流では、流祖・伊賀風山子が伊勢安濃津(藤堂家)、美濃加納藩・山城淀藩・志摩鳥羽藩(松平家)の軍師を歴任したのをはじめ、脇坂併呑子が伊予松山藩(松平家)の軍師、大原呑響が蝦夷松前藩の軍師を務めるなど、歴史を通じて軍師を輩出してきました。現在の当流では、軍師として十分な能力を備えていると認められる方、流派に特別な貢献があった方に軍師位を授与しています。
兵名
伊賀風山流の門人は、兵法における名前として兵名を名乗ることができます。流祖が、孫子軍争篇の一句で、武田家においても尊重されていた「其の疾きこと風の如く、動かざること山の如し」に由来する「風山子」と号して以降、「風」の一字をいただき、「風○子」という兵名を名乗ることが習いとなっています。なお、風の字を冠さない特別な兵名もあります。
兵法授与之指南の証
伊賀風山流の教授を許された者は、兵法授与之指南の証を取得することができます。兵法授与之指南の証は、享保五(一七二〇)年に、脇坂併呑子が高弟である鈴木以水子に授けたのが始まりとされます。教授者となることは、流派の伝統を受け継ぎ、時代へと繋いでいく役割を担うということであり、大変重い意味があるといえるでしょう。